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若手や人が動かない時に立ち止まりたい一点 | 教室から伝える 〜悩める男たちへ〜

若手や人が動かない時に立ち止まりたい一点

仕事の悩みを軽く

「指示したのに、動いてくれない」
「何度言っても、伝わらない」
「自分が若手のときは、こんなことなかった」

30代後半から40代に差しかかると、職場で誰かを指導したり、後輩や若手の動きに責任を持つ場面が一気に増えます。そして、思ったように物事が進まないとき、最初に湧いてくるのは「こちらの苛立ち」ではないでしょうか。

真面目な人ほど、その苛立ちを口に出さずに飲み込みます。代わりに、家に帰ってからため息をついたり、夜中にスマホで「若手 指導 動かない」と検索したりする。そんな経験のある方に、今日は読んでいただきたい記事です。

「若手が動かないのは、能力や世代の問題ではないかもしれません」

申し遅れました。私は現役の小学校教員「しんご」と申します。教員生活16年目で、これまでに教務主任・研究主任という、組織の中で人を動かす立場を経験してきました。「指導する」ことを職業にしてきたからこそ、逆に強く感じるようになった一つの真実があります。今日はその話を、なるべく平易にお伝えしたいと思います。

「動かない若手」を見るとき、私たちは何を見ているのか

少し立ち止まって考えてみてください。あなたが「あいつは動かない」と感じるとき、その評価は、何と比較した結果でしょうか。

多くの場合、比較対象になっているのは「自分が若かった頃の自分」です。あの頃の自分なら、もっと早く察した。もっと自分から動いた。もっと先回りして気を回した──。

けれど、その「あの頃の自分」は、本当に正確な記憶でしょうか。実際には、上司に怒られて凹んだ日も、指示を聞き逃して迷惑をかけた日もあったはずです。それでも記憶の中の自分は、なぜか有能で、勤勉で、空気の読める若手として残っている。これは、誰の脳にも起きる自然な錯覚です。

「私たちは、若手を見ているようで、自分の理想像を見ている」

この錯覚に気づかずに指導を始めると、若手はいつまでも基準を満たせません。なぜなら、あなたが比べているのは、現実の若手と、美化された過去の自分だからです。

教員という仕事が教えてくれたこと

私は毎日、子どもたちと向き合っています。クラスには、こちらの一言ですぐ動ける子もいれば、何度伝えても動けない子もいます。経験の浅い頃の私は、後者の子に対して「なぜ分からないのか」と苛立つことがありました。

でも、教職大学院で学校マネジメントを研究したり、教務主任として若手の先生方と関わるようになって、ある単純な事実に気づきました。それは、「動けない理由は、ほぼ必ず、伝える側の前提にある」ということです。

ここで言う前提とは、こういうことです。

  • その指示は、相手の経験値で「具体的な行動」に変換できる粒度になっているか
  • その指示の背景にある「なぜそれをするのか」は、相手と共有できているか
  • その指示を実行するために必要な情報・権限・時間は、相手の手元にそろっているか

このどれかが欠けると、若手は止まります。本人が怠けているのではなく、「動こうとしても、動きようがない」状態に置かれているのです。

私は、27歳の時に研究主任を初めて任されました。自分より力のあるベテランの先生がいる中で、自分が本当に引っ張っていけるとのか不安でした。そのような思いを抱えながらも、今年度の研究をどう進めていくか、そしてそれがどうして必要なのかを資料を作り、熱心に話しました。

その頃は、上手く組織やみんなが行動してくれたのは熱意が伝わったからだと思っていました。でも、今ふり返ってみれば、上記のことを大切にしながら伝えていました。

立ち止まりたい一点:「主語を入れ替える」

では、何をすればいいのか。複雑なテクニックはいりません。今日からできる、たった一点だけお伝えします。

それは、苛立ちを感じた瞬間に、心の中で主語を入れ替えてみる、というものです。

「あいつが動かない」と思ったら、こう言い換えてみる。

「私の伝え方では、動けるようになっていない」

たったこれだけです。ただし、効きます。

主語を「あいつ」から「私」に入れ替えると、一瞬で景色が変わります。なぜなら、「あいつ」を変えるのはあなたには難しいけれど、「私の伝え方」を変えるのはあなた自身が今すぐできることだからです。自分がコントロール可能な領域に視点が戻ってくる。これが大切なポイントです。

これは「自分が悪い」と自分を責めるための言い換えではありません。むしろ逆で、自分が動かせる範囲に集中するための、極めて実利的な思考法です。

主語を入れ替えた後にやる、3つの確認

主語を入れ替えたら、続けて短く自問してみてください。

第一に、粒度。自分の指示は、相手の経験値で「次にとる具体的な動作」に変換できる細かさだったでしょうか。「適切に対応しておいて」ではなく、「金曜の正午までに、この資料を要約して、メールに添付して送る」のように、誰がやっても同じ動きになるレベルまで分解できているか。

第二に、背景。なぜそれをやる必要があるのかを、相手と共有できていたでしょうか。背景を知らない指示は、相手にとって「ただの作業」です。意味のわからない作業に、人は熱意を注げません。これは大人も子どもも同じです。

第三に、環境。相手は、その指示を実行するために必要な情報・権限・道具・時間を、本当に持っていたでしょうか。会議の予定を組ませたいのに、調整に必要なツールへのアクセス権を渡し忘れていないか。締切は伝えたが、他に抱えている業務量を把握していなかったのではないか。

この3点を確認してから、もう一度声をかけ直してみる。それだけで、動きが変わる場面は、私の経験上ずいぶんあります。

「指導する立場」の本当の役割

30代後半から40代になると、社会から期待される役割が「自分が動く人」から「人を動かす人」へと、静かに変わっていきます。これは、急に始まる役割転換であるにもかかわらず、誰もきちんと教えてくれません。だから多くの人が、自分が若手だったときの記憶だけを頼りに、見様見真似でこの役割をこなそうとします。

そして、うまくいかないと「最近の若手は」と口にしてしまう。世代論は、責任を相手に預けるのに便利な道具です。けれど、それを使うたびに、本当は変えられたはずの状況が、変えられないまま固定されていきます。

「指導する立場の役割は、教えることではなく、動ける状況や環境を整えること」

これは、教員として子どもに向き合う中で、私自身が一番時間をかけて学んだことです。授業で子どもが手を挙げないとき、「なぜ手を挙げないのか」を子ども側に問うても、答えは出ません。けれど、「私の発問は、手を挙げられる粒度になっていただろうか」と問い直すと、明日の授業から少しずつ変えられます。

職場の若手育成も、まったく同じ構造をしているのではないかと、私は思います。

まとめ:今日、職場でできる小さな実験

「若手が動かない」と感じた瞬間に、心の中で主語を入れ替える。たったそれだけのことを、まずは1日だけ試してみてください。

「あいつが動かない」と言いそうになった瞬間に、口を閉じて、こう自分に問い直す。

「私の伝え方では、動けるようになっていない。粒度・背景・環境のうち、何が足りなかったのか」

その問い直しは、苛立ちを飲み込むためではなく、自分の打ち手を増やすために行うものです。打ち手が増えれば、苛立ちはおのずと減っていきます。

30代後半から40代は、自分の中の「動ける自分」を、「動ける環境を作れる自分」へと、ゆっくり書き換えていく時期です。その書き換えは、特別な研修ではなく、明日の朝の最初の一声から始められます。

教室と職員室の片隅から、あなたの一日が少しでも軽くなることを願っています。

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